小学生の頃、飼育委員に入っていました。
今となっては学校での動物飼育は減っているのだと思いますが、私の頃はウサギとニワトリを育てていました。
そのニワトリの中に、ひときわ凶暴性の高い雄鶏がいました。
当時いた体格のいい大人がその雄鶏にとびかかって襲いかかられ思わず蹴ってしまったということもありました。
動物愛護という意味では酷い話に聞こえますが、要は大人が生命の危機を感じるほどに激しい気性のニワトリだったのです。
そのように大人にとっても危険なニワトリの世話を子供がしなければならない状況に困惑しつつも、仲の良い友人達とともに動物と関わる喜びを体験していました。
動物達の世話として、まず小屋の掃除をします。そしてご飯とお水を与えます。それをするのに一旦動物達、主にニワトリを外に出す必要があるのです。
特に、凶暴な雄鶏は確実に出さなければ小屋に入ることすらできません。
出入り口を開放して出てくれれば、他のニワトリたちは散歩させて見守り遠くに行きそうなら抱いて連れ戻すなどできますが、その雄鶏だけは特別です。
まず2人が大きなダンボールを持って出入口から小屋裏まで誘導します。そして別の1人がポリバケツの蓋を盾にして待ち構え、小屋の裏側で挟みうちにするのです。
私は子供の頃は特に怖がりでしたし、運動神経も鈍かったので、この雄鶏を小屋の裏側に留める係はかなり厳しいものがありました。
特にポリバケツの蓋を盾に相対する役所は恐ろしくて1回かそこらやった程度です。頻繁にやってくれた友人達には感謝しかありません。
そんな雄鶏と散歩する他のニワトリたちですが、一羽だけみんなと同じタイミングで外に出せないニワトリがいました。
動物達の小屋の格子は網状になっており、中の様子が分かる網の隙間からウサギに餌をやれるようなよくある仕様の一般的な小屋でした。
しかし、小屋の右端には格子ではなく、金属の扉のある細くて狭い部屋がついていました。まるで監獄です。
子供には少し高い位置に細くて小さな窓が付いていて、つま先だってそこから中の様子を覗くことができました。
そこには羽根のない丸裸のニワトリがいました。
初めて見た時は衝撃的でした。その体からは羽根の根っこのようなものがまだらに飛び出ていたり、地肌も傷だらけでとても痛々しかったのです。
凶暴な雄鶏から攻撃を受け、激しく羽根をむしられてそのような姿になってしまったのだと聞きました。
動物は容赦ありません。彼らが同じ小屋にいた時のことを想像しました。
逃げ場のない小さな部屋の中で、ひたすら暴力を与え、受け続ける状況。
隣の小部屋は今思えば掃除道具置場か何かだったのかもしれません。
生きてるうちにその小部屋に放り込まれたのは不幸中の幸いと言っていいのでしょうか。
私達は鶏肉を食べます。その現状を目の当たりにしてそういう話を淡々とする人もいるかもしれません。
ですがその場の私達は、傷ついたニワトリを労わるように優しく接して世話をしていました。
光の入らない、風通しの悪い、監獄のような部屋。掃除をしても不衛生で厳しい環境。
もっと環境の良い場所で世話してやらないと病気になるのでは。生き延びられないのでは。
そう思うばかりでやれる事はあまりにも少なかったことを覚えています。
季節は巡り、学年が変わって飼育委員から離れ、幾年かが過ぎて6年生となり、卒業の日が近づいてきました。
私は友人に呼ばれて久しぶりに飼育小屋に行きました。驚くものを見せたいと言うのです。
ウサギもニワトリも、以前と変わらずにいるように見えます。そして友人は小屋の右側にある小さな部屋の扉を開けてくれました。
そこから出てきたのは、なんとふかふかの美しいニワトリだったのです。
ボリュームある羽毛で体が覆われ本当にふかふかしていました。うっすら黄色がかった白色で光沢があり、光のように眩しい姿。
後にも先にもあんなに美しいニワトリを私は見たことがありません。そう、そのニワトリは数年前のあの丸裸のニワトリだったのです。
私は歓喜の声を上げました。よくこんな劣悪な環境でここまで復活することができたと。まさかこんなに美しい姿だったのかと。二重の驚きです。
そしてふと思いました。あの凶暴な雄鶏はなんでこのニワトリの羽根を全てむしりとってしまったんだろう。
まさか、美しさに嫉妬でもしたのだろうか。人間じゃあるまいし。
てっきり、1番大人しい個体を追い回して痛ぶったのかと思っていましたが、ニワトリにも嫉妬なんてものが存在するのでしょうか。
毎朝支度をしていると、どこからともなくニワトリの鳴き声が聞こえてきます。
どこから聞こえてくるんだろうと家族と話しながら、私は懐かしくあのふかふかのニワトリを思い出すのでした。


